ヴュルツブルクの街はフランクフルトから南東120Km、電車で1時間30分の距離にある。人口13万弱のこの街はバイエルン州で、ミュンヘン、ニュルンベルク、アウグスブルクに次ぐ4番目に大きな町になる。ヴュルツブルクの起源は、紀元前1000年にケルト人が丘の上、現在のMarienburgのある場所に城砦を築いたことから始まる。その後、ゲルマン民族の大移動でドイツ4大民族のひとつであるFranken族がこの地域(ドイツ人はUnterfrankenと呼ぶ)に入植してゲルマン化された。この地出身の公爵、Friedrich I世、通称バルバロッサ(赤髭)がローマ神聖帝国の皇帝になった頃から、この街は栄え始める。ヴュルツブルク大学は15世紀の始めに創設されたので、ドイツでも古い大学のひとつ。現在では2万人もの学生の数を誇る大きな大学になっている。
中世(17世紀)には、この街は魔女裁判が最も盛んに開かれる街として有名になり、900人を超える「魔女」が磔刑の判決を受けている。ちなみに最後の魔女裁判は1749年。30年戦争ではスウエーデン軍に占領され、街は破壊されたが、公爵領の首都して街は再び再建された。ヴュルツブルク出身の有名人と言えば、19世紀に近代医学の発展に大いに貢献したレントゲンが上げられる。第二次大戦では町の90%を破壊されたが、長い年月をかけて再び再建され、1981年にはユネスコから世界遺産都市に指定されている。
街はマイン川を挟んで左右に分かれており、マイン河にかかる Alte MainbrueckeをFestung Marienburgから見下ろす景色、もしくは、マイン河畔から橋と要塞を見上げる景色は、どの旅行パンフレットにも載っている程で、ヴュルツブルクの象徴にもなっている。この街にあるさまざまな観光名所の中でも、Wuerzbuger
Residenzの城はバロック式の内装の豪華な装飾で有名で、ヴュルツブルクに住むドイツ人の間では『城の中の城』と呼ばれる程の大変な誇り。日本で言えば、奈良の大仏みたいなもの。この城もユネスコから日本の大仏同様、世界遺産に指定されている。 |