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ゲッテインゲンは日本で知名度が低い為、似たような名前の町、ゲッピンゲン(Goeppingen)と勘違いされてしまうこともあるが、ゲッテインゲンはニーダーザクセン州の南端にある大学町だ。名前の由来は実に簡単。Goteという小川の辺にある集落だったので、ここに住む人は、「何処何処に住む人。」という意味で、"-ing"、さらに集落なので複数形の"-en"が加わわり、Gottingenと呼ばれたが、ドイツ語で発音し易いようにウムラオトして、Goettingenとなった。
市内には石器時代の居住跡も見つかっているが、町の発展は中世も中頃になってから。この地に居住して、交易を営んでいた小さな商人の集落が、街の起源になっていると推測されている。ようやく13世紀になってからこの土地を支配していた伯爵がこの地にその居住地を置くことに決定、まずは外敵の侵入を防ぐために城壁をめぐらして、やっと街の輪郭が出来上がった。こうして形成された町の中心部には市場があり、これを囲むように市庁舎や教会が建設された。この街作りのモデルは、今日でもドイツの諸都市に見ることができる。
ゲッテインゲンは交通の要所にあった為、13世紀から15世紀にかけて多くの商人がこの地を訪れるようになり、又、地場産業の織物も人気を博して、町は大いに発展する。16世紀には経済にかげりが出てきて、税金の軽減を求める商工業者と市の役人との間で小競り合いが続く。17世紀には宗教戦争(30年戦争)が悪化、街は防壁の増強を開始するが、カトリック教会軍、ワレンシュタイ将軍の軍門に下る。ワレンシュタイン将軍に身代金を払って街が開放されたと思いきや、今度はTilly将軍が街を包囲、5週間に渡って砲撃を続けた為、食料がくなり街は降伏する。降伏後も占領軍が駐留したため、住人は町から逃げ出し、この時期にはゴーストタウンになった。
町の復興は18世紀に入ってから。この町を支配下にいれたブラウンシュバイク選帝侯は、ちなみに英国でジョージ1世として英国の王家に君臨したのもこの選帝侯の息子、領内に大学がないので、この地に大学を建設する事に決定した頃から、町の復興が始まる。7年戦争時、そしてナポレオン戦争時にはフランス軍に占領されるが、ナポレオンの敗退後、今度はプロイセンが軍をゲッテインゲンに進めてきた。選帝侯は最後の抵抗を試みるが、幾戦練磨のプロイセンに歯が立たず降伏、こうしてゲッテインゲンはプロイセン領となり、今日に至っている。
ゲッテインゲンはちょうどドイツの中央にある為、交通の便が良く、フランクフルトから電車で2時間で着いてしまう。ちょうどフランクフルトから、デユッセルドルフまで行く距離と同じ。デユッセルドルフと異なり中心部には古い町並みがそのまま残っており、デユッセルドルフのコンクリートジャングルと異なり、心が和みます。又、物価、特に家賃が安いので、留学生には住みやすい町です。 |