|
「アウグスブルク。」と言って、「アウグ、、何だって?」と聞き返されるくらい日本では無名な町。しかしアウグスブルクはバイエルン州で3番目に大きな都市で、27万人もの人口を抱えている。おまけにドイツではトリアーに次いで2番目に古い歴史を持つ都市で、ミュンヘンがまだ小さな集落でしかなかった頃、このアウグスブルクにはローマ帝国の植民地の首都として栄えていた。この植民地がAugusta Vindelicorumと呼ばれたのが、町の名前の起源になっている。
5世紀になるとゲルマン4大種族のひとつ、アレマーネンが東からこの地に侵入、ローマ人を追い出して、この地をゲルマン化した。8世紀にはカール大帝の指揮の下、同じゲルマン種族のフランケン族がこの地に侵入して、アウグスブルクはフランク王国の一部となる。10世紀には神聖ローマ帝国の初代皇帝、オットー1世がアウグスブルクの南で東からの脅威であったマジャール人を撃破して、アウグスブルクの発展が始まる。12世紀には町に昇格(ミュンヘンよりも2年早い)、13世紀にはハープスブルクがアウグスブルクに税金を徴収する権利を与えると町は税金で潤い、15世紀にはアウグルブルクはヨーロッパの出版業の中心地になり、16世紀には株式市場までオープンしている。
16世紀には宗教闘争が表面化する。アウグルブルクは福音派の砦となり、他の宗派、特にカトリック宗派を弾圧し始めた。この為、1555年に有名なアウグスブルクの講和が締結されて、どの宗派も自由に信仰をする事が可能になった。30年戦争時にはスウエーデン軍に占領され、18世紀にはバイエルン軍に短期占領されるが、この頃にアウグスブルクで望遠鏡が発明されて、欧州全域から注文が殺到、町はこれまでになかった栄華を迎えることになる。
有名なアウステリッツの戦いでナポレオンがロシア、オーストリア連合軍を撃破すると、ナポレオンに加担したバイエルンはその褒美として、アウグスブルクをもらうことになり、これが原因で今日までアウグスブルクはバイエルン州に帰属している。この為、アウグスブルクのドイツ人は、厳密に言えばバイエルン人ではなく、"Schwaben"(シュバーベン)人だ。シュバーベン人は、本来、隣接するバーデン ヴュルテムベルク州に多く住んでいるので、バイエルンに住むシュバーベン人は、混乱を避けるため、「バイエルンのシュバーベン」と呼んでいる。又、生粋のアウグスブルク市民もバイエルン人と一緒にされるとあまりいい顔をしないので、頭の片隅に置いておこう。アウグスブルクで、「どこの町が好き?」と聞かれて、「ミュンヘン」と答えるのは、禁句です。
|